死に向かって生きる日記!!

みんな生まれた時から死に向かっているんだ。生きることを続けるんだ。 生まれ変わりがあると信じるわしが来世でこのブログを覚えているのかという実験のブログ!

愛するために生まれた

人はそれぞれ必ず

生涯愛していく人に出逢える。

その人には無償の愛を注ぐ。

利己的になってしまう愛情は

本物ではない。

つまり生涯をかけてその人を愛せない。

そして自分も幸せになれない。

こんなに愛しているのに

どうして答えてくれないんだという時点で偽物だ。

損得とか無駄とかが関係ないと言ってるわけではない。常に周りから確認されるから行き来せずにはいられない感情という位置ではある。

逆にどんなに周りから確認されても(損得…)そんな次元ではない根拠や言葉で表すことができない愛が本物ではないか。

利己的な愛はどんなに月日をかさねても変わることはない。利己的に愛することを捨てないと本物の愛に出逢えない。

だからといって簡単に捨てることもできない。捨てるための時間も必要で、何度も何度も試される。劣等感が強いほど長い月日が必要だ。

でも必ず生涯愛することができる人に出逢える。歳も関係なく。もし出逢えたらなんてことはない!誰しも必ずなんだ。

出逢えたら気づきたいから自分をみつめて生きていくんだ。

だから人はこの世に生まれてきたんだ。

目覚めの更新

ここ毎日、目が覚めると

ああ、そうなんだと感じる。

今朝もそう。

 

私はこの世で1番大切な人に

別れを告げられてから

毎日更新している。

 

私はこのままだと母親と同じ人生を歩むことになる。自分さえ我慢していればという人生のまま終わらせてしまったかもしれない。

我慢して生活をしている母を見て私は、小さい頃ここから抜け出そうと何度も頼んだ。でもそれは叶わないままだった。それで母に幸せなの?と尋ねたらきっと幸せだよと答えただろう。強がりな人だったから無理やり笑顔を作ってそう答えただろう。

 

大切な人との別れの意味は

この時の自分にもあるんだと

今朝感じた。

今の生活からの脱却と

母の二の前にならないための

自分をみつめる作業の時間を

与えてくれたんだ。

 

こう感じられるまで

諦めず愛を注いでくれた

大切な人。

この人がいなければ私は

自分で立つことができなかった。

でももう大丈夫。

 

別れてしまったけど愛したい。

自分自身をみつめる作業が終わったら会いに行きたい。

 

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その別れは

私自身が今までの私に

別れを告げる作業をするための

ものなのだ。

それがわかった。

 

夏至

夏至の日に動いた。

今まで止まっていたものが突然。

箱庭の人形と人形を動かすように

空から誰かの手で操られてた。

 

そしてひとつの終わりが生まれた。

 

新しい日常になった。

 

まだなにも形は変わってないけれど

目に見えない気持ちが昨日とはまったく違う。

穏やかで

落ち着いていて

 

箱庭の出来事があったからではなく

今まで献身的な愛を注いでくれた人が

私を強くしてくれたんだと確信した。

 

これからはなにがあっても

私は動じない。

 

愛の力ってすごいね。

 

充分愛されたから

これからはおまけの人生。

 

おまけの人生はその人を

愛することに決めたんだ!

 

くさいこと言うよね〜♡

 

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26歳になる娘とこれからの話をした。

普段はわしにきつい口調なのだが

昨日の娘はちゃんと最後までわしの話を聞いてくれた。

そしてわしがこの家を出るいろいろを決めた。とてもスムーズに。

娘は思った以上によく理解してくれていた。

今わしがわだかまってることもとても丁寧にわかりやすくシンプルにまとめてくれた。

息子に話すのはまだ先でいいとも言ってくれた。

一度にたくさんのことやるとまた頭おかしくなるから、その都度考えればいいと。

 

今までこんなに待たせたんだから今度はお母さんが待つ番だよって。

いろいろ整理しながら好きなこともして

待っていればきっと迎えにきてくれると。そういう人だよ、あの人はって。涙

 

母と娘が逆転した夜でした。

 

今日もやすみやすみ片付けがんばります。

 

 

なかみはふたり

わたしたちは わかれることにした

 


せっかく であえたのに

 


やっとのおもいで であえたのに

 


かなしくて

さびしくて

みるものに いろがなくなった

 


わたしはとまる

でも まわりはくりかえしている

 


あさがきて

よるになり

またあさがくる

 


でもなにもかわらない

 


うずくまる

 


ふとみたら

つぼみだった なもないはなが

ちいさくさいていた

ひとつだけ

 


だれにもしられることもなく

 

 

 

ふしぎなんだよ

 


それから

 


もうひとつのかたわれが

 


みえるの

 


みえたらほかほかしたの

 


わたしのなかに

 


かたわれがいる

 


となりじゃなくて

 


わたしのなかにいるんだね

 


さいている はなをみて

かわいいねって おもったら

 


かたわれも こころがほかほかするんだ

 


わたしがほかほかになるのは

 


かたわれに なにか

 


うれしいことがあったんだね

 


かたちはひとつだけど

 


なかみはふたり

 


はなれていても

 


だいじょうぶってきこえる

 

ねぇ、きづいた?

ちょっとつよくなってない?

書きたいことは山ほど

毛玉です。

今、毛玉の回りで目まぐるしくいろんなことが変化しています。

 

毛玉の心境は一言で言うと

現在は辛いです。

でもきっと大丈夫。

いい方向に行くよ。

 

こんな感じだから朝からゴロゴロ寝てばかりいるかと思いきや

起き上がって弁当作りました。

ゴミ出しもしたよ。

お風呂に入ってパックもした。

偉いよ!毛玉!

きっと大丈夫!

生まれてきた意味

おはようございまーす、毛玉です。

清々しい朝ですねー。

 

まだまだモヤモヤの気分は続いておりますが…ま、いつものことなので、気持ちが上がるまで待つしかないのであります。

 

長く生きていると流れの中にいるようでいて、後で考えると何かがきっかけになって人生に区切りがあるように感じることがあります。

今の私は第3章の中にいます。

生まれてから上京するまでが第1章。上京してから家族を持ち手を離れるまでが第2章。自分の夢ために行動する今が第3章です。

不思議なことに出会った人たちとは区切り事に付き合いが終わっていることに気づきました。薄情な自分が浮き彫りになります。笑

 

区切りの度に考えるのが『生まれてきた意味』です。その時出会う人たちがきちんと生まれてきた使命みたいなものを果たしているように私の目に映ります。なので必然的に私は?と考えてしまいます。私のような存在はここにいなくてもいいのではないか。私でなくてもいいのでは。と。

自分の人生なんだから自分が主役なのに大勢の中のひとりと感じるのです。

そうやって場所を変える度に生まれてきた意味を考えて居場所を探している気がします。

そんな中今の第3章では今までにない感覚があります。出会った人達が次々幸せになっていることです。私自身はまだ夢を叶える途中ですが、周りはとてもいい方に向かっています。ちょっとは置き去り感もありますが、みんなが幸せを感じることはうれしいことですね。

 

この第3章で考える生まれてきた意味は

「私に出会った人はいい方に向かっていく!」です。これでやっと人生の主役になれました。笑

 

誰かが言ってたけど

人生は悲惨だ。だからこそ些細なことで喜べる。

 

たとえ最期が悲惨な人生でもところどころにうれしいことがあれば充分なんじゃないかと思う。

コロコロと変わる自分の気持ちともうまく付き合っていかないとな。

人生の区切りがあっても私自身とだけはずっと付き合っていくわけだから。

 

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